世界を旅した料理人の物語 第二章 さらなる高みを目指して

おすすめ

間中料理長が単身イタリアに渡ったのは2007年。27歳のときでした。
「5年間ですべてのポジションを経験。いったん東京のほかの店でさらに経験を積むことも考えましたが、勢いを失いたくなかった。このまま目標にしていたイタリアへ行こうと、同じレストランで働いていたイタリア人の同僚に相談したところ、彼は、ナポリにあるレストランを私に紹介してくれました」
こうして料理長は、世界へとその歩みを進めることになったのです。

憧れのイタリアへ

イタリア行きを目標に日本で料理人として自らをステップアップさせた間中料理長。実際に憧れの地へと足を踏み入れたとき、そこで待っていた環境はどんなものだったのでしょうか…料理長はこう話します。
「日本で経験を積んだからと言って、すぐにシェフとして活躍できるわけではなく、研修をしてもらっている間は給料なんてありません。だから休みの日は、生活費を稼ぐためにずっと皿洗いをしていました。基本的に海外のレストランでは、料理をつくるシェフ、サーブをするホールとは別に、皿洗いを担当するスタッフがいます。そしてそのお皿を洗う仕事は、移民が請け負うことがほとんどなのです」
また現地では言葉にも苦労したという間中料理長。語学の勉強はしていたものの、ナポリはイタリアの中でも方言が独特で、イタリア人でも理解するのが難しいことがあると言います。そんな環境の中で、気持ちが折れることはなかったのでしょうか?
「不思議とつらいという感情はありませんでしたね。イタリアにいる。ただそれだけで幸せでした」

日本人の地位を確立したい

そんなイタリア生活も4年半の月日が流れ、その間、間中料理長は7軒のイタリア料理店で料理人として着実に経験を積んでいました。一ツ星、二ツ星、三ツ星すべてのレストランをまわり、メインを任されるまでになっていたのです。
「この当時私には一つの信念がありました。それはイタリア人と同じだけの給料をもらうということ。これまでイタリアに渡った日本の料理人たちがとにかく懸命に働いたおかげで、日本人は印象が良く重宝されるように。しかしタダ同然で働くケースもあり、日本人は安い給料で良く働くというあまり良くないイメージもついてしまった。そういうのは自分の代で終わりにしたい。これから海を渡る料理人のためにも、日本人の地位をきちんと確立したいという思いがありました。ポジションが上がったら、それに見合った対価をもらう。このときすでに、イタリアで料理を学ぶという意識はなくなり、一人のプロの料理人としてお金を稼ぐんだという考え方に変わっていました」

さらなる高みへ 訪れた転機

料理人として着実に自身の地位を築きつつあった間中料理長。イタリアでの生活もすっかり慣れた頃、ある転機が訪れます。それは日本に一時帰国し、メインの鳩料理が評判となっていたあるレストランに足を運んだときのことです。
「料理を口にした瞬間、衝撃を受けましたね。雷に打たれたとはまさにこのことをいうのでしょう。当時、私自身も鳩を扱い、1週間に50~70羽ぐらい捌いていて、火入れにも自信がありましたが、その店の鳩料理はまったくの別物でした」
そのレストランの名は「Quintessence(カンテサンス)」。パリで修業を積み、帰国後は東京に自身の店をオープンさせ、32歳という世界最年少の若さで三ツ星をとった岸田周三氏がオーナーシェフを務めるフレンチレストランです。
「カンテサンスを訪れて強く感じたのは、このまま保守的なイタリアにいてはだめだということ。イタリアンという自身の基盤をさらに高みへと引き上げるためには、この国を出なければ…そう思ったのです。でもどこへ行けばいい…?やはりフランスなのか?いろいろと考えて私が決めた行先は、スペインでした」

新たな活躍の場を求めて

世界一予約が取れないと称された「エル・ブジ(El Bulli)」をはじめ、スペインには世界のベストレストランに選出されるような名店が数多くあると間中料理長は言います。そんなスペインを自身の新たな活躍の場と定めて再びイタリアへと戻った間中は、まず履歴書を片手に、スペインで食べ歩きを始めます。
「イタリアからスペインへは電車で移動することができるので、時間を見つけてはスペインまで食べ歩きに出かけました。ここだと思った店に巡り合ったときは、履歴書を見せて働かせてもらえるかを交渉しました」
実際にレストランへ足を運び、料理を食べて気に入れば、その場で履歴書を見せ、料理人として雇ってもらえるかを打診する。それが間中のやり方。一見無謀にも思えるこの方法で、門前払いされることはなかったのでしょうか?
「もちろんありますよ(笑)。でも履歴書を持ち歩き、いざというときに出すというのは、ものすごく効果的なやり方だと思っています。履歴書というのは、メールで送ったところでまず見てもらえませんから。やっぱり相手も人間なので、直接会って話をした方が、人となりが分かるし愛情も沸く上、印象に残りやすいんです。だからお願いしたときはダメでも、ポジションに空きが出たときなんかに、連絡をくれることもあったりします」
人から紹介してもらうという方法もある中、あえてそうはせず、自分自身で働く場を探すことにこだわった間中。それはなぜなのでしょうか?その理由を聞くと一言答えが返ってきました。
「その方がしがらみがないし、自分のやりたいように進んでいける。そして上手くいかないことがあっても人のせいにすることがない。自分の決めたことだと思えますからね」
そんな確固たる信念と行動力で次なるステージへと進んだのは、イタリアにわたってから4年後、2011年のことでした。